大阪地方裁判所 平成8年(ワ)1539号 判決 1999年3月12日
原告
株式会社工研不動産
右代表者代表取締役
大倉康治
右訴訟代理人弁護士
小沢礼次
被告
木村産業株式会社
右代表者代表取締役
木村昌二
右訴訟代理人弁護士
廣田稔
右訴訟復代理人弁護士
万代佳世
被告知人
桝谷允啓
主文
一 被告は原告に対し、金一億九八六八万八七六七円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金二億八五〇〇万円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 右第1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (主位的請求)
(一) 原告は、平成二年九月六日、弁論分離前の共同被告西日本建設株式会社(現在の商号・株式会社三愛総合企画。以下「西日本建設」という。)の名義で、被告に対し、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)及び同目録二記載の建物(以下「本件建物」という。以下、本件土地と本件建物をまとめて「本件不動産」という。)を、以下の約定で売り渡した(以下、売主が誰であるかの点は別として、「本件売買契約」という。)。
(1) 代金 五億八五〇〇万円
(2) 手付金 三〇〇〇万円
(3) 決済日 平成二年一〇月二三日
(4) 決済時の支払金 二億七〇〇〇万円
(5) 特約 本件不動産につき、所有権が被告に移転されても、賃貸人が明渡しをされず、現況空室の状態でないときは、所有権移転時に、原告は被告に留保金として二億八五〇〇万円を預ける。
(二) 原告は、被告に対し、前項の留保金として二億八五〇〇万円を預けた。
(三) 原告は、遅くとも平成七年九月一九日には、本件不動産の入居者の立退問題を解決した。
2 (西日本建設が本件売買契約における売主と認定された場合の予備的請求)
(一)(1) 西日本建設は、被告に対し、平成二年九月六日、本件不動産を、右1(一)の約定で売り渡した。
(2) 西日本建設は、被告に対し、前項の留保金として二億八五〇〇万円を預けた。
(3) 原告は、遅くとも平成七年九月一九日には、本件不動産の入居者の立退問題を解決した。
(二) 西日本建設は無資力である。
(三) 原告は、西日本建設との間で、同社が被告から右(一)(2)の売買留保金を受け取った場合、原告に同額を支払うとの合意をした。
3 よって、原告は、被告に対し、本件売買契約の売主として(主位的請求)、又は西日本建設が本件売買契約の売主として有する売買留保金請求権の代位行使により(予備的請求)、売買留保金二億八五〇〇万円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1(一) 請求原因1(一)の事実は否認する。被告は西日本建設から本件不動産を買い受けたのであって、売主は原告ではない。原告は仲介者にすぎない。
(二) 同1(二)の事実は否認する。被告は西日本建設から売買留保金として二億八五〇〇万円を預かったが、原告から預かったことはない。
(三) 同1(三)の事実は認める。
2(一) 同2(一)の各事実は認める。
(二) 同2(二)及び(三)の各事実は否認する。
三 抗弁
1 特約による売買留保金の減額
(一) 被告は、本件売買契約において、売主との間で、共同住宅である本件建物「三栄荘」の引渡しについて、「売主は平成三年二月末日を目処に、完全の空室の形で、買主に引き渡す」ものとし、「期限(平成三年二月末日)が到来しても、地上げ及び現況空室で立退きがなされていないときは、買主は留保金を土地代金の中から減額することができる」との特約をした。
(二) しかるに、右期限を経過しても、立退きがなされず、完全空室の形での引渡しは遅れて平成七年九月一七日になった。
(三) したがって、買主である被告は、右特約に基づき、売買留保金二億八五〇〇万円を減額することができるから、支払うべき金員はない。
2 損害賠償請求権をもってする相殺
(一) 被告は、前記1(一)のとおり、本件売買契約において、売主との間で、「売主は平成三年二月末日を目処に、完全の空室の形で、買主に引き渡す」との特約をした。
(二) しかるに、右期限を経過しても、立退きがなされなかった。
(三) その結果、被告は、以下の損害を被った。
(1) (得られたはずの利益の喪失)
被告は、平成三年二月末日に本件不動産の引渡しを受け、本件土地上にマンションを建設して売却する予定であったのであり、平成四年六月末日までにはマンションを完成させて一二億円で売却することができたはずであるから、本件売買代金五億八五〇〇万円を差し引いても、少なくとも二億円の純利益を得られたはずであるのに、これを喪失した。
(2) (借入利息)
被告は、株式会社住総から年利9.4パーセント(長期プライムレート+0.5)の約定で三億円を借り入れて売買代金のうち前記三億円(手付金と決済時の支払金)を支払ったものであるが、右(1)のマンションが売却できていれば、遅くとも平成四年六月末日には三億円を返済することができたはずである。そうすれば、被告は、平成四年七月一日から平成九年一〇月末日までの間の金利である一億五〇四六万四一七二円を支払う必要がなかったから、同額の損害を被った。
(3) (公租公課)
被告は、右(1)のマンションが売却できていれば、平成四年六月末以降は、一年間三〇万七一〇〇円で五年間の合計一五三万五五〇〇円の固定資産税(本件土地一四万四九〇〇円、本件建物四万八九〇〇円)及び都市計画税(本件土地一〇万二九〇〇円、本件建物一万〇四〇〇円)を納付する必要がなかったから、これを納付せざるを得なかったことにより同額の損害を被った。
(4) (本件建物解体費用)
本件建物の解体も未了であるところ、解体費用約四〇〇万円は売主が支払うことになっている。
(四) 被告は、平成九年一一月二八日の本件口頭弁論期日において、右(三)の合計三億五五九九万九六七二円の損害賠償請求権をもって、原告の本訴請求債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
四 抗弁に対する認否
1(一) 抗弁1(一)の事実は認める。
(二) 同1(二)の事実は否認する。原告は、平成三年二月一日までに、本件不動産の元所有者である桝谷充啓(以下「桝谷」という。)以外の入居者(賃借人)を全て立ち退かせた。
(三) 同1(三)は争う。
平成二年一〇月二三日の決済日に、被告を含む関係者全ての立会いのもと、桝谷が本件建物に残置している荷物を同年一一月二〇日限りで搬出して本件建物を明け渡すことを約束し、被告も同人に明渡しの意思を確認した上で、本件売買契約の代金決済及び被告への所有権移転登記手続を行ったのであるから、桝谷の明渡しの問題はこの時点で解決済みであり、抗弁1(一)の特約にいう「現況空室で立退き」とは、桝谷以外の入居者(賃借人)の明渡しのことである。その後に桝谷が本件不動産を売却した契約は詐欺によるなどと主張して明渡しをしなかったのは、全く理由のない言いがかりであり、原告に責任はない。
仮に、被告が売買留保金から幾許か差し引くことができるとしても、せいぜい本件売買契約に基づき被告が既に支払った金員に対する常識的な利率による銀行金利の範囲であり、当事者間において売買代金の半額近い留保金の全額を減額できるような約束をすることはありえない。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の事実は否認する。原告は、平成三年二月一日までに、桝谷以外の入居者を全て立ち退かせた。
(三) 同2(三)の事実は否認する。
前記1(三)のとおり、平成二年一〇月二三日の決済日に、被告を含む関係者全ての立会いのもと、桝谷が、本件建物に残置している荷物を同年一一月二〇日限りで搬出して本件建物を明け渡すことを約束し、被告も同人に明渡しの意思を確認した上で、本件売買契約の代金決済及び所有権移転登記手続を行ったのであるから、桝谷の明渡しの問題はこの時点で解決済みである。したがって、抗弁2(一)の特約にいう「完全の空室の形で、買主に引き渡す」とは、桝谷以外の入居者(賃借人)の明渡しのことであり、桝谷が明け渡さなかったことによって被告に損害が生じたとしても、原告に責任はない。
また、被告は、本件不動産につき所有権移転登記を受けると同時に、株式会社住総に対して売買代金額を大幅に上回る担保を設定して(オーバーローン)、本件不動産を転売したと同様に資金を得て他に流用しているので、被告に損害は生じていない。
五 再抗弁(過失相殺)
被告は、本件売買契約の決済に立ち会い、自ら桝谷に本件不動産の明渡しの意思を確認した上で、桝谷に決済金を支払い、本件不動産につき所有権移転登記を受けたのであるから、桝谷が本件不動産の明渡しを行わなかったことについて原告に何らかの損害賠償責任があるとしても、被告にも過失があり、大幅な過失相殺をすべきである。
六 再抗弁に対する認否
再抗弁事実は否認する。
第三 証拠
訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。
理由
一 請求原因1(主位的請求)について
1 本件売買契約における売主が誰であるかにつき、原告は原告自身であると主張し、被告は西日本建設であると主張するので、この点につき検討する。
証拠(甲四の1、五、二一、証人鳥生輝昭、原告代表者)によれば、本件売買契約の平成二年九月六日付契約書上、前文において売主・西日本建設と買主・被告との間で本件不動産の売買契約を締結する旨記載され、末尾の署名押印欄において、原告(代表者)は仲介業者として記名押印しており、売主として署名押印しているのは西日本建設(代表者)であること、被告が同年九月六日に支払った手付金三〇〇〇万円及び同年一〇月二三日に支払った売買代金の内金二億七〇〇〇万円の領収書は西日本建設(代表者)が作成したものであること、被告は原告に対し仲介手数料として一〇〇〇万円を支払っていること、本件不動産の前所有者である松竹建設株式会社(以下「松竹建設」という。)が売主となっている同年八月三〇日付売買契約書上も、前文において買主として記載され、末尾の署名押印欄に買主として署名押印しているのは西日本建設であり、原告は仲介業者として記名押印しているにすぎないことが認められる。
しかしながら、本件不動産の売買の過程をみるに、証拠(甲一ないし三、四の1、五、六の1・2、一三ないし一七、二〇、二一)によれば、本件建物の元の所有者であり、かつ、本件土地の元の共有者であった桝谷は、松竹建設の代表者である竹部寛哲(以下「竹部」という。)の世話で、平成二年七月二五日、有限会社真誠商事の代表取締役である真田哲寛(以下「真田」という。)個人から返済期限同年一〇月二四日の約定で一億円の融資を受け、その担保として本件不動産を譲渡担保に供し、所有権ないし持分の移転登記手続をしたこと、ただし、本件土地の他の共有者であった桝谷光枝(以下「光枝」という。)の持分については、既に平成二年二月一六日受付で光枝から松竹建設に売買を原因として所有権移転登記がされていたので、松竹建設の名で譲渡担保に供し、その持分移転登記をしたこと、しかし、桝谷は右融資を受けた一億円を返済できる目途が立たなかったことから、竹部が桝谷に、竹部が探す買受先に本件不動産を売却するよう勧めた結果、桝谷は、竹部と原告等の世話で、本件不動産周辺でマンションの建築を計画していた被告を最終の買受先として、本件不動産を売却することとし、まず、同年八月二四日ころ、松竹建設との間で、本件建物と本件土地持分を、本件建物の店舗、居室の賃借人はそのままとして、代金一億七七七八万円(手付金一〇〇〇万円)、決済取引日同年一〇月二四日までとの約定で松竹建設に売り渡す契約を締結したこと、次いで、同年八月三〇日ころ、松竹建設は、西日本建設又は原告(真の買主がいずれであるかは後記のとおり。)との間で、代金二億八七七八万円(手付金二五〇〇万円)、決済取引日同年一〇月二四日までとの約定で本件不動産を西日本建設又は原告に売り渡す契約(売買契約書上の買主は西日本建設)を締結したこと、同年九月六日、西日本建設又は原告と被告との間で、少なくとも本件建物の貸室は全部空室として引き渡すものとして、代金五億八五〇〇万円(手付金三〇〇〇万円)、決済取引日同年一〇月二四日までとの約定で本件不動産を被告に売り渡す契約(売買契約書上の売主は西日本建設)を締結したこと、ただし、不動産登記簿上は、真田に対する所有権ないし持分の移転登記が抹消された上、桝谷又は桝谷及び松竹建設から被告へ直接所有権ないし持分の移転登記手続がされたことが認められるところ、証拠(甲四の2、五、七ないし九、二〇、二一、証人仲井康雄、原告代表者)及び弁論の全趣旨によれば、西日本建設は、本件不動産の松竹建設からの買受けや被告への売渡しの交渉には何ら関与しておらず、一切の交渉は原告が行っていたこと、桝谷が真田から融資を受けた一億円の返済期限の前日である平成二年一〇月二三日に、被告事務所(ビル)の一室に、桝谷、真田の代理人松本良夫(有限会社真誠商事の専務取締役)、松竹建設の竹部、原告代表者、被告の常務取締役仲井康雄、司法書士事務所の事務員四方信彦、本件建物の入居者の立退交渉を依頼されていた株式会社日本地所の瀬田将博らが一同に集まって、桝谷から被告に至る本件不動産の一連の取引にかかる登記関係書類の作成や売買代金の決済等が行われた際にも、西日本建設の代表者や従業員は立ち会っていないこと、原告は、当初は、原告名義で松竹建設から本件不動産を買い受けて、被告に売り渡す計画であり、そのため原告が松竹建設に対する手付金二五〇〇万円を用意してこれを支払ったこと、ところが、株式会社日本地所の瀬田将博が、原告に苦情が来ることを避けるために西日本建設の名義を借りるよう助言した結果、原告は、西日本建設の名義で売買をすることになり、西日本建設に対し名義使用料として三〇〇万円を支払ったこと、一方、西日本建設は、本件売買契約の契約書上仲介業者として記名押印している原告に対して仲介手数料を支払っていないこと、被告の担当者であった右仲井康雄も真の売主は原告であると認識していたこと、西日本建設は、被告に対し本件売買契約における売買留保金の支払を請求したことがないことが認められ、右認定事実に、原告は、本件訴訟において、当初、西日本建設をも共同被告として、同社に対し、被告に対して本件売買契約における売買留保金の支払請求権を有するのは原告であることを確認する旨の訴えを提起したところ、西日本建設は口頭弁論期日に出頭することなく、結局右確認請求を認容する判決がなされ、同判決はそのまま確定したこと(本件記録上明らかである。)を併せ考えれば、西日本建設は本件不動産の松竹建設からの買受け及び被告への売渡しにつき原告に名義を貸したにすぎないのであって、本件売買契約における真の売主は、西日本建設ではなく、原告であると認められる。
2 右1で判示したところ及び証拠(甲五)によれば、請求原因1の(一)及び(二)の事実が認められるということになり、同(三)の事実は当事者間に争いがない。
二 抗弁について
そこで、被告主張の抗弁について判断する。
1 特約による売買留保金の減額
(一) 被告が本件売買契約において、売主との間で、共同住宅である本件建物「三栄荘」の引渡しについて、「売主は平成三年二月末日を目処に、完全の空室の形で、買主に引き渡す」ものとし、「期限(平成三年二月末日)が到来しても、地上げ及び現況空室で立退きがなされていないときは、買主は留保金を土地代金の中から減額することができる」との特約(以下「本件減額条項」という。)をしたことは当事者間に争いがなく、右にいう「売主」が原告を指すことは前記説示のとおりである。
そして、証拠(甲一三ないし一六、原告代表者)によれば、原告は、平成二年一二月から日本地所とともに、本件建物に入居していた店舗及び居室の賃借人と交渉して、平成三年一月末日までに、その明渡しを受けたこと、しかし、前記平成二年一〇月二三日の決済日に本件建物を同年一一月二〇日限り明け渡すことを約束していた元所有者の桝谷が、被告に対し、本件建物を他に売り渡したことはなく、少なくとも桝谷と光枝の使用部分については居住権があり、それを明け渡すことは絶対にしない旨通知し、桝谷ら使用部分に家具・荷物等を置いたままとし、平成三年二月二〇日には、光枝とともに、原告、被告及び日本地所を債務者として本件建物の取壊禁止及び占有使用妨害禁止の仮処分命令を申し立てたこと(当庁平成三年(ヨ)第四二二号)、その結果、原告は、同月末日までに桝谷らの占有部分の立退きを実現することができず、桝谷らの立退の問題は、桝谷らの提起した右仮処分事件の本案訴訟において、桝谷らの請求を棄却した第一審判決が平成七年九月一九日言渡しの上告棄却判決により確定したことによって、ようやく解決したことが認められる。
(二) ところで、証拠(甲五)によれば、本件減額条項は、本件売買契約の契約書の「特約事項」欄において、第二条の「売主は平成三年二月末日を目処に、完全の空室の形で、買主に引き渡すものとする。」、第三条の「第二条の時期以前に完了した場合は、被告は、留保金を返却するものとする。」との各条項に続いて、第四条として記載されているものであり、右各条項によれば、原告は、平成三年二月末日までに、本件建物を完全に空室にした上で、被告に本件不動産を引き渡すことが合意されており(第二条)、これを受けて、第三条において、原告が右期日までに「完全空室」の形で被告に対する引渡しを完了した場合には、被告は売買留保金を返却するものと定められ、逆に、原告が右期日までに「完全空室」の形での引渡しを完了していない場合、即ち、「期限が到来しても、地上げ及び現況空室で立退をなされていない」場合のことについて、第四条として本件減額条項が定められているものと考えられる。そして、本件減額条項には「地上げ及び現況空室で立退をなされていないときは」とのみ記載されており、桝谷の占有について特にこれを除外する旨の記載はないこと、証拠(証人鳥生、同仲井、原告代表者)によれば、このような特約がなされたのは、被告は、原告から本件不動産の引渡しを受けた後、直ちに本件建物を解体して本件土地を更地にし、速やかに本件土地上にマンションを建設することを計画しており、そのためには右期日までに確実に本件建物に対する占有を全て排除しておく必要があったからであることが認められ、したがって、被告としては、本件建物に入居していた店舗及び居室の賃借人であろうと、元の所有者の桝谷であろうと、右期日の時点で本件建物の一部でも占有している者がいれば、マンションの建設に直ちに着手することができない点では同じであること、証拠(甲二一)によれば、原告代表者は、平成三年一〇月二二日に実施された保全異議申立事件(当庁平成三年(モ)第五一五八八号)における審尋において、売買代金の「残金は、建物つぶして、それまでに立退きの交渉終わって、測量終わって、更地にできた時点という、これは契約書の特約事項に書いてあります」などと供述していることが認められること、これらのことを併せ考えれば、本件減額条項は、原告が、平成三年二月末日の時点で、桝谷を含む全ての占有者を退去させた状態で本件不動産を被告に引き渡すことができなかった場合に適用されるものであると解するのが相当である。この点について、原告は、平成二年一〇月二三日の決済日に、被告を含む関係者全ての立会いのもと、桝谷が、本件建物に残置している荷物を同年一一月二〇日限りで搬出して本件建物を明け渡すことを約束し、被告も同人に明渡しの意思を確認した上で、本件売買契約の代金決済及び所有権移転登記手続を行ったのであるから、桝谷の明渡しの問題はこの時点で解決済みであり、右特約にいう「現況空室で立退き」とは桝谷以外の入居者(賃借人)の明渡しのことであると主張し、原告代表者もこれに沿う供述をするけれども、右判示したところに照らし、採用することができない。
そして、原告が、平成三年二月末日までに桝谷の占有部分の立退きを実現することができなかったことは前記(一)認定のとおりであるから、特約による売買留保金の減額の特約の抗弁は、本件において本件減額条項の適用があるとする限りでは理由がある。
(三) しかして、本件減額条項の「減額することができる」の意義について、被告は、売買留保金二億八五〇〇万円全額を減額することができるとの趣旨であるから、支払うべき金員はない旨主張するが、証拠(乙一、証人仲井、原告代表者)及び弁論の全趣旨によれば、被告は売買代金の一部である三億円(手付金三〇〇〇万円と決済時の支払金二億七〇〇〇万円の合計)の支払に充てるため株式会社住総から三億円を年利9.4パーセント(長期プライムレート+一%)の約定で借り入れたところ、平成三年二月末日までに、本件不動産が桝谷を含む全ての占有者を退去させた状態で被告に引き渡されなかった場合には、全ての占有者を退去させた状態での引渡しが実現するまでの間の被告の株式会社住総からの借入金三億円に対する金利分を売買留保金から減額できるとの趣旨であったと認められ、右被告の主張は、前掲各証拠に照らし採用することができない(仮に被告が主張するような内容の条項であるとすれば、原告が右引渡しを一日でも遅延すれば、被告は売買代金の約四九パーセントにも当たる金額を支払わなくて済むことになるところ、契約当事者の合理的な意思解釈に照らし、このような売主にとって苛酷な内容の合意が成立したとは考え難いところである。)。
そして、前示のとおり、原告が遅くとも平成七年九月一九日には本件不動産の入居者の立退問題を解決したことは当事者間に争いがないから、被告は、本件減額条項に基づき、右引渡しの期限である平成三年二月末日の翌日である同年三月一日から、右平成七年九月一九日までの間の三億円に対する金利分について売買留保金から減額することができるものというべきである。証拠(乙一)によれば、右金利の額は、八六三一万一二三三円であると認められる。
よって、被告は、本件減額条項に基づき、売買留保金二億八五〇〇万円から右金利相当額八六三一万一二三三円を減額することができることになる。
2 損害賠償請求権をもってする相殺
被告が本件売買契約において、売主との間で、「売主は平成三年二月末日を目処に、完全の空室の形で、買主に引き渡す」との特約をしたことは当事者間に争いがなく、右にいう「売主」が原告を指すこと、「完全空室」とは桝谷を含む全ての占有者を退去させた状態で本件不動産を被告に引き渡すことを意味すること、ところが、原告は右期日までに桝谷の占有部分の立退きを実現することができなかったことは右1説示のとおりである。したがって、原告は右特約に違反したことになるので、これにより被告が被った損害について判断する。
(一) 得られたはずの利益の喪失
証拠(乙二)によれば、株式会社日経(植村兵衛)が、平成二年一二月一〇日付で、被告に対し、本件土地及び本件土地上に被告が建設予定のマンションを買付金額・一二億円、買付期間・平成三年二月末日との条項で買い付けるとの買付証明書を提出したことが認められる。しかしながら、仮に右のとおりの条項で被告と株式会社日経(植村兵衛)との間で売買契約が成立していたとしても、これによって被告が得られたであろう純利益の額を認めるに足りる証拠はない。
(二) 借入利息
被告は、売買代金のうちの三億円(手付金と決済時の支払金)を支払うために株式会社住総から借入れた三億円の金利につき、被告は平成四年六月末日までには本件土地上にマンションを完成させて一二億円で売却することができたはずであり、遅くとも同日には三億円を返済することができたはずであるとして、同年七月一日から平成九年一〇月末日までの間の金利である一億五〇四六万四一七二円と同額の損害を被った旨主張するが、仮に右(一)のとおりの条項で被告と株式会社日経(植村兵衛)との間で売買契約が成立していたとしても、その決済条件等について不確かな要素が多く、平成四年六月末日までに三億円を返済することができたものと認めるに足りる証拠はなく、また、原告が本件不動産の入居者の立退問題を解決したことに争いのない平成七年九月一九日より後については、前記特約違反の状態は解消されているのであるから、金利相当額の損害の賠償を求めることはできない。そして、右平成七年九月一九日までの間の金利相当額については前記1説示のとおり売買留保金からの減額が認められるのであるから、これ以上に被告が金利相当額の損害を被ったということはできない。
(三) 公租公課
本件全証拠によっても、被告が負担した公租公課の額を認定することができない。
(四) 建物解体費用
本件全証拠によっても、被告が本件建物の解体費用を支出したとの事実も、その費用の額も認められない。
以上によれば、被告主張の損害賠償請求権をもってする相殺の抗弁は理由がない。
三 再抗弁について
原告は、被告主張の特約(本件減額条項)による売買留保金の減額の抗弁に対しても、再抗弁として過失相殺の主張をするかのようであるが、右特約による売買留保金の減額については、過失相殺を適用する余地はないというべきである(のみならず、原告主張のように、被告が本件売買契約の決済に立ち会い、自ら桝谷に本件不動産の明渡しの意思を確認した上で、桝谷に決済金を支払い、本件不動産につき所有権移転登記を受けたからといって被告に過失があるということはできない。)。
四 以上によれば、原告の請求は、売買留保金二億八五〇〇万円から前記二1の本件減額条項に基づく減額分八六三一万一二三三円を差し引いた一億九八六八万八七六七円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官水野武 裁判官石井寛明 裁判官石丸将利)
別紙<省略>